書評『成功の五角形で勝利をつかめ!』三田紀房 著

アウトプット, 書評

<引用>

そもそも勉強とはなにか?なぜ、我々は勉強するのか?この根源的な問いに対して、作家の鈴木光司氏は著書『なぜ勉強するのか?』(ソフトバンク新書)の中でこう述べている。

「将来、有効となる能力とは、『理解力』『想像力』『表現力』の三つです。数学や外国語、歴史、理科など、さまざまなジャンル、要するに別角度からのアプローチを経て、この三つの力を養うのが勉強の本質なのです。」

勉強は、情報を正しくインプットするところから始まる。ここで問われるのが「理解力」だ。または「読解力」と言い換えてもいいだろう。

しかし、ただインプットしただけでは、なんの意味もない。インプットした情報を、自分の頭の中で組み合わせ、練り上げ、膨らませていく作業が必要だ。すなわち「想像力」である。そして最後に、自分ならではの意見、自分なりの結論を、正確かつ他者に伝わる形でアウトプットしていく。これが「表現力」ということになる。

以上の三段階が、勉強の正体だ。ところが、勉強を 「インプット」のことだと思っている人間は、意外なほど多い。インプットすればするほど、頭がよくなる。そう考えてしまっているのだ。

そんなもの、「食えば食うほど健康になる」というのと同じ論法だ。食っているだけでは不健康になる。体を動かし、カロリーを消費して、出すべきものはちゃんと出す。早寝早起きの生活を守って、便秘になんか絶対にならない。それが健康の第一歩じゃないか。

どんなに立派な知識や情報も、それを仕入れているだけでは便秘になって心身のバランスを崩してしまう。勉強の最終過程にある「アウトプット」について、もっと真剣に考えてみよう。教科書を極めたら、今度は教科書から飛び出さなければならないのである。

せっかくインプットしたのなら、便秘にならないうちにアウトプットする。そのための素材が目の前にあるのにアウトプットしないなんて、そんなに勿体ない話もない。

<書評>

インプットしただけではなんの意味もない。耳が痛い言葉です。摂取したものは、便秘にならないようにちゃんと体の外に排出していかないといけない非常に分かりやすい例えだと思いました。

私は本を読むことが好きなので、これまでただひたすら読んでばかりいました。そのような読書からのインプットとアウトプットの比率を考えると99対1くらいになってしまうのではないかと思います。

今の目標は、インプットとアウトプットの比率を20対80まで持っていくことです。その一環として、この読書日記ブログを始めました。しかし実際のところは、ブログを書くだけでは全然アウトプットが足りません。

なんでも良いのですが、例えば売上などの「成果に直結する」アウトプットの行動だけに集中することが必要だと感じています。

行動をどのように定義するかは、色々な考え方があるとおもいますが、ひとまず、

行動(アウトプット)=他者に対する働きかけを含むもの

としておきたいと思います。

その一方で、

インプット=自分の中だけで完結してしまうもの

と定義することができます。

この定義でいくと本を読むだけなら インプットですが、ブログに書いて情報発信すればアウトプットということになります。

他にも、英会話のフレーズを覚えるのはインプットで、それをネイティヴとの会話の中で使えたらそれはアウトプットになります。

どちらの方が自分の身につきそうかと考えると、圧倒的に後者ですね。最初からアウトプットすることを意識してインプットを行いたいと思いました。

それに加えて、今の自分の行動、取り組んでいることがインプットだけで終わってしまっていないかをもう一度見直してやる必要性を感じました。そして、もしインプットだけで終わってしまっている行動があれば、なんとかしてアウトプットに繋げられないかを考えていこうと思います。

アウトプットして情報発信をすることで、それを見たり聞いたりした人からのフィードバックがかかります。フィードバックというインプットがかかると、アウトプットが加速されるとともにインプットのためのアンテナの感度も高まっていきます。そのサイクルを上手く回すことができたら、自分の成長スピードも速くなるでしょうか。

インプットは苦にならないのにアウトプットには、非常な苦しみを感じます。そのような人も多いのではないでしょうか。アウトプットに慣れるための訓練の意味合いもあるブログですが、書き続けていくうちに「表現力」も磨かれていくと思います。

そして、インプットの段階から、書き出すというアウトプットを組み合わせて取り入れていくことで、「読解力」や「想像力」も養成できると思うのです。

メルマガでも配信中です。

Posted by akaneko