書評『未来に先回りする思考法』佐藤航陽 著

書評, 思考法・考え方

<引用>

今の自分の能力に基づいて意思決定してはいけない

「案ずるより産むが易し」という言葉もありますが、できないと思ってやってみたら意外に簡単にできたという経験は、誰にでもあるでしょう。自分の能力を過小評価しているケースもあるでしょうが、その多くは、時間の経過とともに自分の能力が上がることを判断材料に入れていないのが原因です。

何か目標を立てるとき、人間はその時点での自分の能力や知識を判断材料にして、自分がどこまで到達できそうかを試算します。「ああ、あそこまでならいけそうだな」と。

ただ、取り組んでいるうちにその人の知識だったり能力だったり、様々なパラメータ(変数)はアップデートされていきます。やる前にはわからなかったことがわかり、新しい知識を学び、頭をひねって工夫しているうちに新しい能力が身についたりします。結果として、自分が当初考えていたことよりも多くのことができるようになっていた、というのはよくあることです。

逆にいえば、現在の認識でできそうに見えることは、将来の自分にとっては楽勝でできる可能性が高いのです。今できそうに思えることをし続けることは、大きな機会損失ともいえます。もっと高い目標を設定していれば、もっと遠くまで行けたのですから。

時間の経過とともに自分の認識がアップデートされると仮定すれば、現時点で「できなさそうに思えること」とは「本当にできないこと」ではありません。むしろ、できるかできないかを悩むようなことはすでに「できることの射程圏内」に入っていると考えた方がよいでしょう。

今の自分の狭い視野によってつくられた認識のほうが「間違っている」と考えていましたし、今だってそう考えています。自分の偏狭な認識に邪魔されて可能性を狭めてしまうのは、とてももったいないことです。

自分の認識に従ったほうが正しい判断ができる場合ももちろんあるでしょう。しかし、行動を起こす時点と結果がわかる時点の時間差があることほど、自分の認識はあてにならなくなることは、頭の片隅に留めておいてください。

<書評>

目標を立てる時は、自分の認識している自分の実力の範囲内で、「これぐらいならできそうかな」という最低ラインの目標や、それをいくらかストレッチした努力目標を設定することが多いです。

ただ、それでは自分の可能性を小さく押しとどめることになってしまう。

「千里の道も一歩から」の言葉にあるように、崇高な理念や、壮大なビジョンを掲げていたとしても、毎日のベイビーステップのような取り組みの積み重ねが、その目的地へと連れていってくれる手段であると考えます。

一方で、破天荒で荒唐無稽と思えるくらいの目標も持っていないと、もっと大きな自分の成長や成果の機会を失ってしまうことになる。

筆者は言います。「できるかできないか悩むようなことはすでにできることの射程圏内」だと。

 その一方で、本当にできないことは「想像もできないこと」だと述べています。

文章を書いて自分の考えていることを整理している時には、思いつきレベルのくだらないことから、憧れのような目標まで、いろいろなアイデアが浮かんでくることがあります。

筆者の考えに沿って考えるならば、私が思いついてメモに書き留めた大小様々なアイデア、目標は全て、「実現できる射程圏内に入っている」ということになります。

これまで私は、たくさん出した自分のアイデアに対して、「これはできそう」「これはできなさそう」という 線引きを意識的に、あるいは無意識のうちに行ってしまっていたと思います。

ですが、もしかしたら線の引き方が間違っていたのかもしれません。

線を引くべき位置は、「自分が思いついたたくさんのアイデアの中」ではなく、「自分が思いついたたくさんのアイデア」と「自分が思いつかなかったこと」の間。

そして線を引いたこちら側のアイデアは全て、「狙ったら撃ち落とせる」ようになれるかもしれない。

何故なら、これから先の自分は確実に今の自分よりも、様々な要素においてレベルアップして進化しているはずだから。

そして、遥か先に思えるような目標であっても、自分の差分アップデートも、そこに近づくまでの時間分大きくなっているはずだから、全然夢物語などではない。

自分の考え方を揺さぶってくれる言葉を頂いて、思い込みの枠をまた1つ取り外すことができたように思います。

今の自分から近い目標、遠い目標という違いはあっても、それら全部が、手を伸ばしたら、背伸びしたら、手に触れること、掴むことができるもの。大いに勇気付けられました。

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Posted by akaneko