書評『新・観光立国論』デービッド・アトキンソン 著

書評, コミュニケーション, 歴史

<引用>

そしてもう1つ解説の必要性を強調する理由は、日本の文化財はスケールもインパクトも相対的に小さいということです。日本の文化財がたいしたことないと言っているわけではありません。これまで欧米人が見てきた文化財と異なっているということが言いたいのです。

エジプトに行ってピラミッドを見れば、その大きさに衝撃を受けます。中国の万里の長城もそうです。フランスのヴェルサイユ宮殿に行けば、その華麗さに目を見張ります。言葉はいらないと言うと大袈裟ですが、その外観を見るだけで、そのすごさが伝わるものが多いのです。

しかし、日本の文化財には、そのような驚きはあまりありません。もちろん、外国人にも人気の東大寺の大仏など、その大きさに圧倒されるものもありますが、基本的に日本の文化財は、一見すると地味なのに、よくよく聞くと「すごい」というものが多いのです。

これはどういうことかというと、特に日本の文化財には「説明」が必要不可欠ということです。そういう視点で二条城を見ると、 「説明」が不十分と言わざるをえません。

たしかに、その大広間には将軍や大名などの人形が並んでいますが、彼らがどのような経緯でここに集まり、ここに座るまでにどのようなドラマがあり、そしてどのような意味でこのような装束を身にまとっていたのか、棚の飾り方をしていたのかなど、詳しい説明がまったくないのです。

これは二条城にかぎりません。日本の神社仏閣に行っても、ほとんどが日本語表記のパンフレットしかなく、たまに英語表記のものがあっても非常に薄く、あまり内容に富んでないのです。建物のなかを拝観しても、そこで何が行なわれ、どのように使われたのか、外国人にはさっぱりわかりません。

たとえば、茶室の場合は「tea ceremony room」などという英語で説明があるだけで、器も茶釜もなければ、掛け軸や茶花すら置かれていません。

これでは、ここでどのように「茶道」というものが行なわれていたのかわかりません。単にその時代の建造物を冷凍保存して公開している、単なる「ハコモノ」になってしまっているのです。

多くの場合、畳は何十年も表替えをしておらず、わびさびを完全に超えています。文化財の茶室の多くはさまざまな特徴があるので、説明をする必要があるというか、そのよさを理解するには説明が必要なのです。

<書評>

確かに日本人から見ても、一体ここがどういう由来で建築されて、どういう歴史上の舞台になったのかが分からない文化財は多いと思います。

二条城には私も行ったことがあります。敷地は広大でお屋敷も立派、庭園も綺麗ですが、観光の順路に沿ってぐるっと回るだけで、何かのストーリーを感じることができるかというと、それは難しいように感じます。ところどころに説明の看板はありますが、それだけで全体の概要を掴むことはできません。

二条城は大政奉還という、日本史上、非常に重要な舞台となった場所ですが、江戸時代と明治時代のまさしく転換する瞬間に、時空を超えて思いを馳せることができるほど、観光客の気分を盛り上げることができていないのです。他の多くの文化財においても同じでしょう。

気分の高揚を感じようとするならば、その文化財に関して自分自身で予習をしていく必要があります。日本人ですらそんなレベルなのに、外国から来た観光客に対してそれを求めるのは酷というものでしょう。

パンフレットや音声ガイドや外国語対応のガイド、さらには、その文化財周辺に1週間滞在しても飽きないくらいに交通、ホテル、娯楽施設などの周辺環境を充実させていくこと。

そして丁寧すぎるくらい丁寧に、その文化財の良さとストーリーを説明・発信していく必要があると本書では述べられています。

あるものが「内包する良さ」を理解してもらうためには、熱心な説明が必要。これは決して文化財に限った話ではないでしょう。個人においても言えることだと思います。

日本は行間を読むようなハイコンテクストの文化であると言われます。

「以心伝心」とか、「阿吽の呼吸」とか、「空気を読む」とかそんな言葉がある通り、相手に対して「言わなくても分かってくれること」を求める、期待するところがあります。

でも当たり前に考えて、何も言わないのに、その人の性格や考え方、職業や家族構成が分かるはずがありません。「分かってくれ」というのは無理があります。

そうであるならば、自分がどういう人間であるのかを、自分のことを理解して貰いたい人達に向けて、労を惜しまずに伝えていかないといけません。

個人的には、そういうことが疎かになりがちな家族においても行うことが望ましいと思います。

日本の多くの文化財のように、内面的に素晴らしい魅力を備えている人であっても、きちんと丁寧に自身のことを伝えていかなくては、それを良いと感じてくれる人と出会うことも、また会いたいと思ってもらうこともできないのです。

自身のストーリーを乗せた情報発信を続けることで、ゆっくりと染み出すようにその人の魅力が伝わっていきます。

それは、ある一定量に達すると小川になり、やがては、もっと大きな川のようになるでしょう。行き着くところまで行けば、接した人々に感動を与えることができる大河や大瀑布のようになれるかもしれません。

まずは、その状態を目指して、少しずつ自分のストーリーを説明していくのです。

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Posted by akaneko