書評『NHKラジオ深夜便 絶望名言』 頭木弘樹 NHKラジオ深夜便制作班 著

書評

<引用>

わたしはいつもみんなから、

幸運に恵まれた人間だとほめそやされてきた。

わたしは愚痴などこぼしたくないし、

自分のこれまでの人生にけちをつけるつもりもない。

しかし実際には、苦労と仕事以外の何ものでもなかった。

七五年の生涯で、本当に幸福だったときは、

一カ月もなかったと言っていい。

石を上に押し上げようと、

くり返し永遠に転がしているようなものだった。

(ゲーテとの対話)

頭木 

ゲーテというのは、たしかに非常に幸福な人生を送った人でもあるんです。

若い時に書いた、『若きウェルテルの悩み』で、これはもうヨーロッパ中で有名になるんですね。

あのナポレオンまで本を持って、わざわざ訪ねてきたくらいです。

いい友達もたくさんいましたし、たくさんの女性から愛されましたし、ヴァイマルという、当時、国だったんですが、そこの大臣になって、貴族の称号をもらうんです。

八十二歳の誕生日の前に、生涯をかけて書いた大作の『ファウスト』を完成させて、数カ月後に亡くなるという、もう大往生ですよね。

川野

そうですね。いわゆる成功者じゃないですか。

頭木

そうなんです。

でも、それは人生をあらすじで見ているからだと思うんです。

川野

あらすじで見ている。ほお。

頭木

ええ。あらすじで見れば、たしかにゲーテの人生は幸福なんですが、他の人にはわからない密かな悲しみというものを秘めている場合が、やっぱり人間ってあると思うんです。

川野

外側からは、うかがい知れない悲しみとか悩みとか、あったわけですね。

頭木

ゲーテの周りでは、大切な人が次々亡くなっていくんです。まずゲーテは四人の妹や弟を亡くしているんですね。たった一人残った一歳下の妹がいて、とても可愛がっていたんです。その妹も二十六歳の若さで亡くなってしまうんです。ゲーテはシラーという親友ができるんですけれども、十歳年下なんですが、このシラーもゲーテよりだいぶ前に亡くなってしまうんです。

その後、ゲーテの母も亡くなり、妻も亡くなり、そして晩年の八十一歳の時にですね。たった一人の子供、息子のアウグストがイタリア旅行の途中で急に亡くなってしまうんです。

川野

そういう人生だったんですか。そうするとあらすじではなく、細かく見てみると、やっぱりその人の実像が浮かび上がってきますね。

頭木

そうですね。どうしても人の人生も自分の人生も、あらすじで見てしまいがちじゃないですか。あらすじで見ると、すごい幸せな人だったり、逆にすごい不幸な人だったりするわけですけれども、もっと細やかに見ていくとですね、幸福な人の人生にもたくさんの悲しみがあったり、あと不幸な人の人生にも、たくさんの喜びがあったり、あらすじで見ない場合は、ずいぶん印象も変わってくると思うんですね。

ぼくは病気になる前の若い頃は、むしろ人生をあらすじで生きたいなと思っていたんです。歯を磨いたり、ごはんを食べたり、お風呂に入ったりとか、そういう細々したことは面倒くさくて、もう食事も錠剤でいいし、あれをやったこれをやったというような大きなことだけで人生を生きていけたらいいなと思っていたんです。

けれど、病気して寝込んじゃうと、大きなことってなにもできなくなりますね。そうすると、細やかなことだけが人生になってくるんです。そうすると、そういう細やかな味っていうのが、逆にだんだんわかってくるんですね。

たとえば、あらすじで生きたかった元気な頃は、さっき飲んだお昼の味噌汁がおいしかったかどうかなんて、どうでもいいわけですよ。でも今は、ちょっと寒い時に飲んだお味噌汁の味が、とても沁(し)みたとか、温かかったとか、そういうことが人生でとても大きいんですね。そういう細やかな部分にだんだん目が向くようになると、人生に対する感じ方も、ずいぶん大きく変わってくるなあと思います。

1.この本はどんな本か?

NHKラジオ深夜便の中にある『絶望名言』というコーナーを書籍化したものです。

「名言」というと、勇気づけられる言葉、希望に満ちあふれた言葉を想像しがちです。

でも、これはいろいろな作家の残した「絶望した言葉」を紹介して、解説していく、というもの。その意図は、絶望した時には、絶望の言葉のほうが、心に沁みることがあるからだとのことです。

確かに、酷く落ち込んでいる時、悲しい気持ちになっている時には、無理やり自分を奮い立たせようとする言葉よりも、沈んでいる自分に寄り添ってくれる言葉の方が、受け入れやすく、気持ちがやわらぐこともあります。

ラジオ番組の対話の形式のまま本になっているので、読みやすい本です。ラジオがお好きな方はラジオを聞くような感じで読めると思います。「ラジオ深夜便」ですし、「絶望名言」なので、朝よりも夜に読むのが合っているのではないかと思います。(私も夜に読みました)。

2. 人生をあらすじで生きる

本書では、カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介、シェークスピアの「絶望名言」が数個ずつ、紹介されています。今回はゲーテの絶望名言を一つとりあげました。

ゲーテの人生についてはここでは取り上げませんが、著者がひとつ、面白い視点を提供してくれています。

それは、「人生をあらすじで見る」というものです。

あらすじ、つまりは人生のハイライト、大きなイベントだけで線をつないで人生を描く見方ですね。

就職活動の前に自己分析を行った方は多いと思います。その時に「自分史」などを描いたことはありませんか?

引っ越しや入学試験、何かの賞の受賞、海外留学、病気や怪我、大きな災害の被災経験、身内の不幸など、それまでの自分の価値観の根底を揺さぶるような出来事を振り返るものです。

何歳の時に、こんな大きな出来事があった。その結果、今の自分はこのような考え、価値観を持つようになった。

自分のこれまでの人生の山や谷だけに着目してそれを説明すると、それが自分の人生を「あらすじで説明する」ということになるでしょう。

私たちが初対面の人に対して行う自己紹介なんかも人生のあらすじですし、本の奥付に乗っている著者の紹介文も「どんなことをしてきた人なのか」という著者の人生のあらすじが説明されています。

あらすじは、自分を人に理解してもらうのに便利ですし、人に良く思われた方が世の中では生きやすい、ということもあります。ですから、「良いあらすじ」をたくさん持てるように日々の努力を続けている、そういう方も多いと思います。

ピーター・ドラッカーは「何を持って憶えられたいか」をいつも自分に問いかけて自己の刷新を図っていたといいます。

ドラッカーの言う『何をもって』は、まさしく自分の「あらすじ」のことであり、自分の後に残る人達に対して良くも悪くも影響を与えうるものです。

おそらくどんな人でも、仮に強権国家の独裁者であったとしても、自分のことを後世に「悪く憶えられたい」という人はいないと思います。

では、「良く憶えられるためには」何をすればいいでしょうか。

何を成し遂げればいいでしょうか。そのためにはいつまでに何をする必要があるでしょうか。

「良く憶えられるために」日々の振舞い方で見直すべき点はないでしょうか。

その日のうちにやらないといけないことを先延ばしにして迷惑をかけたり、

イライラして誰かに怒ってしまったりしていないでしょうか。

人生の「山と谷のあらすじ」において、「谷」の方は、例えば自然災害など、自分個人の力ではどうしようもないこともあります。

でも「山」の方のあらすじは、「何を持って憶えられたいか」を意識していくことで、自分で形作っていくことが可能なものだと思います。

3. あらすじの間を生きる

自分が人に憶えられたい「良いあらすじ」を作る、というのは大切なことです。

その一方で、今回引用した部分で光が当てられているのは、「あらすじ」には残らないかもしれない、「日常」と呼ばれる細やかな部分の話です。

あらすじとあらすじの間を虫眼鏡で拡大することで覗くことができる部分です。

私たちは「良いあらすじ」、人生の「山」を目指して、上を見上げて、日々を過ごしています。

ですから通常、下を向いてこの部分に目を向けることは難しいことだと思います。

「日常」が「有難い」ものだと認識できるのはどういう時でしょうか。

日常に対する「解像度」が上がり、小さな出来事に対する「アンテナの感度」が高まるのは、「自分の気持ちが沈んでいる時」です。

それはなぜかと言うと、これまで気にもしなかった「当たり前」が「当たり前」でなくなってしまっている時期だからです。

気持ちが沈むと物事に対する感覚も鈍くなりそうですが、むしろ逆で、繊細で傷つきやすくなっている分、

感覚は鋭敏になっています。

「自分が触れるものは皆、自分を傷つけるナイフのようなもの」

といった意識になっています。

そのような状態になると、嫌でも自分が接するものに対しては、慎重に、注意深く観察せざるを得ません。

従って、自分自身の小さな感情の変化も、明確に意識することができます。

例えるなら、それまで「メートル」単位で読んでいた感情の機微が「センチメートル」や「ミリメートル」、あるいは「マイクロメートル」でも読みとれる感じです。

こういった時は、怒りや悲しみといった負の感情に対する感度も高くなっているのですが、喜びや楽しみなどの正の感情に対する感度も高くなっています。

普段は「メートル」単位の出来事が起こらないと嬉しいと思えなかったのが、「マイクロメートル」単位の出来事が起こっただけでも嬉しくてたまらない、という気持ちに気づくことができます。

その小さな喜びは、人が「今、生きている」という実感、喜びそのものだとも思うのです。

人に憶えられたい「良いあらすじ」を追い求めていくことはもちろん大切ですが、その間をつなぐ日常の中の無数の「有難さ」に目を向けることも忘れないようにしていきたいと思います。

何故ならば、日常の小さな小さな喜びのハイライトを紡いで、数珠繋ぎにしていくこと、それは結局「良いあらすじ」作りにもつながることだからです。

4.まとめ

・「何を持って憶えられたいか」を絶えず意識していくことで、人生の「良いあらすじ」をつくる

・気持ちが沈んでいる時の方が、物事に対する感度は鋭敏になる

・日常の中の無数の「有難さ」を拾い集めることが「良いあらすじ」作りにもつながる

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Posted by akaneko